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ユネスコ世界遺産登録の「軍艦島」を視察して

軍艦島

「軍艦島(ぐんかんじま)」という名前を聞いたことはございますか?外観がまるで“軍艦”のようなこの島は、ユネスコの世界遺産にも登録されている歴史的にも貴重な資料です。今回は、KENSO Magazineのライターである小生が、日本建築仕上学会主催の軍艦島視察に参加したときのことを記事にしてみました。

目次
1. 軍艦島とは?
2. 日本最古の鉄筋コンクリート造のアパート「30号棟」
3. 軍艦島の構造物のうち、世界遺産は一部のみ
4. マンション群(アパート群)
5. おわりに

軍艦島とは?

「軍艦島」は、長崎県長崎市に所在する岩礁の周りを埋め立てて造られた人工の島の名前(呼称)です。岸壁が島全体を覆い、島の中に鉄筋コンクリート造の建物が密接して立ち並ぶその外観が、軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったといわれています。
「軍艦島」は呼称であり、正式な名称は「端島(はしま)」と言います。島で採れる石炭が良質であったことから、日本の近代化に大きく貢献しました。

そもそも「軍艦島」に人が上陸するようになったのは、明治維新から間もない1870年頃です。島の海底に良質な石炭が潤沢に埋蔵していることが発見され、採掘が始まりました。そして1890年頃に三菱が島を買い取り、本格的な採掘が始まりました。当時の日本にとって石炭は、工場や汽車・車・船の稼働に使用する必要不可欠なエネルギー源でした。

この石炭を掘るために多くの人を雇う必要があり、働く人がすぐに炭鉱に行けるように、そしてその家族もいっしょに住めるようにと、多くの鉄筋コンクリート造の共同住宅が建てられました。最盛期の1960年頃には、0.063km²程の小さな島の中に約5300人が暮らしており、当時は東京23区の9倍と日本一の人口密度を誇っていました。島の中には、小中学校や病院などが完備され、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もあるなど、島民の生活の全てを島の中で賄うことができました。

このように石炭の需要により繁栄を謳歌した「軍艦島」でしたが、戦後、主要エネルギーが石炭から石油へと移行するにつれて衰退し、1974年についに閉山し、やがて無人島になりました。

「軍艦島」は炭鉱が閉鎖され、すべての人が島を去った後、近年になるまで放置されたため建物が老朽化し、現在の廃墟の島となりました。そして、2015年7月、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 〜製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として登録され、再び脚光を浴びることになりました。

今回は、研究目的の視察として長崎県知事から特別な許可をいただき、建物の内部に入っています。一般の観光の方も上陸することはできますが、建物の内部に入ることはできませんのでご注意ください。

日本最古の鉄筋コンクリート造のアパート「30号棟」

軍艦島

1916年に建築された日本最古の鉄筋コンクリート造のアパート「30号棟」。著名なグラバー邸のトーマス・ブレーク・グラバーと関わりがあることから、通称「グラバーハウス」と呼ばれています。当初は4階建てでしたが、増築されて現在の7階建となりました。
この建物はコンクリートに含まれる塩分量や鉄筋の腐食等劣化状況の調査結果に基づき、2020年2月に東京大学院の野口教授が宣告した余命を既に超過していて、いつ倒壊してもおかしくない状態とされていて、調査員の上陸する人も近づくことできません。
写真からは確認できませんが、南側の5階から屋上にかけては、梁、外壁、柱、床が崩落し、徐々に崩落範囲が広がっているとのこと。一緒に上陸していた研究者は、「もはや保存は諦めるしかないが、実際の建物の自然崩落の過程を見ることができる貴重な資料だ。」とのことでした。
そう遠くない将来に、建物の崩落ニュースが届く日がくるかもしれません。その時はこの記事を思い出してみていただければ幸いです。

軍艦島の構造物のうち、世界遺産は一部のみ

軍艦島

写真は当時、石炭を運ぶためのベルトコンベアが装着されていた構造物です。
実は、このベルトコンベアを含めて、軍艦島を構成する鉄筋コンクリートのアパート群や学校などほとんどの構造物は、世界遺産の価値を有するものではありません。
その理由は、遺産登録の対象期間の問題にあります。
具体的には「産業革命遺産」は1850年から1910年までに限定されており、軍艦島を構成する鉄筋コンクリートのアパート群や学校、炭鉱施設などの大部分が、1910年以降に建設されたためです。
とはいえ、端島炭坑は世界遺産登録の前年に国の文化財保護法によって史跡として指定されているなど、端島炭坑の類まれな景観を形成する数々の構造物、特に高層のRC構造物群は、端島炭坑の貴重な歴史遺産を構成する重要な要素に変わりはありません。
ちなみに、同行して頂いた建築学の研究者によれば、「これらの建造物は現在の外観を維持しつつ安全性を確保した保存を行う。」という方針は定まっているものの、現時点で具体の保存方法は模索中とのことでした。
※上記の内容は、一部不正確な表現がございましたので、長崎市世界遺産室からのご指導の下、2024年4月に一部文章を修正しています。

マンション群(アパート群)

コの字状に連結されたマンションは、左から戦前、中央が終戦時、右側が終戦後に建築されたとのことです。中庭を囲んで当時の時代の流れを感じさせる建物群です。当時、中庭には滑り台やブランコがありそこで子どもたちが遊んでいたようです。

軍艦島
軍艦島

中庭を挟んで向かい合って立つマンションです。島内にはマンションが極めて密接に建築されていますが、このような中庭がライトウェル(光井戸)の役割を期待し、光視環境に配慮していたのだと思います。当時はベランダ越しにご近所の会話をしていたのでしょうか。
また、当時から「海に囲まれたこの島では鉄は錆びて腐食しやすい」という意識があり、島内の建物は、構造躯体は鉄筋コンクリート造、建具や手摺は木製といった構成がほとんどでした。

おわりに

軍艦島

今回は、長崎県から特別な許可を得て、通常は潜入できない建物の内部まで拝見し、大変貴重な経験になりました。時折、建物の中から覗く外の景色は、とても爽やかに目に写りました。かつて、島に住んでいた人も同じ窓から同じ景色を見ていたことを想像しました。

日本最古の鉄筋コンクリート造のマンションや、鉄筋コンクリートと日本伝統的な木を融合した建物が、今も取り壊される事無く手付かずのまま放置され、自然劣化が進んでいる様は、壮大な実験施設のように感じました。

建物の劣化は進んでいましたが“倒壊”という側面でみれば、鉄筋コンクリートは相当な耐久性能があることもわかりました。つまり、メンテナスをしっかりすれば100年以上は十分に耐えられることを裏付けていると思います。「良い建物を長く大切に使う。」サステナブルな社会の形成が求められる現代において、建物メンテナンスの重要性を改めて感じた次第です。

視察中は、島内に多くの学生や研究者、研究に勤しんでいる様子を拝見しました。今後、この貴重な資料をどのように残し、どのように後世に伝えていくのかこれからも注目したいと思います。

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■この記事のライター
熊谷 皇
鹿児島大学院工学研究科建築学専攻終了。専門は建築環境(温熱環境、省エネ等)。国土交通省 住宅の省エネ基準検討WGの委員・コンサルタント、建築環境省エネルギー機構(IBEC)・日本建築センター(BCJ)・職業能力開発総合大学校等の講習会講師、日本建築ドローン協会(JADA)のWG委員の経験を持つ技術者。

(2023年2月6日新規掲載)
※本記事は掲載時の内容であり、現在とは内容が異なる場合ありますので予めご了承下さい。

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