100年の歴史と誇り

建物を装うと書いて、建装工業

慶長8年(1603)年に江戸幕府の御用達の塗師として漆塗りに塗装のルーツを持ち、
明治、大正、昭和、平成という幾多の時代を「塗ること」を通じて彩り続けて400余年、

建装工業が創業されてから100余年の歴史の中で数多の苦難、経験、技術、実績を着実に積み重ねると共に、
時代のニーズを読み当社を繋いできた多くの先人・先達方、
そして当社をご支援・ご愛顧いただいたお客様によって、
今日業界トップクラスの企業としてその歩みを続けています。

これからも更なる世紀を超えて、人と社会に貢献できる会社でありたいと願っております。

 
 
 
 

創業期

明治36年~昭和3年(1903-1928)

慶長8年(1603)髙橋家の初代・三浦屋平六は徳川家康の幕府創設に従い漆細工所の塗師として俸禄30人扶持で苗字帯刀を許されたと記されています。
その後長きに渡り徳川幕府の御用達の漆工場長として勤め、第15代征夷大将軍徳川慶喜の大政奉還を経て明治時代へと大きく時代が変革していく中、明治36年(1903)建装工業創業者髙橋夘之松(旧姓・鈴木)が母方の伯父である第15代三浦屋平六(髙橋平六)の跡を継ぎ芝愛宕町に髙橋夘之松商店を創業し、塗師三浦屋の伝統を再建したことが今日の建装工業の始まりとなっています。

明治41年(1908)明治の塗装職人
日露戦争後の戦後恐慌の波に揉まれながらも、塗装一筋に時代を駆け抜けていきました。

明治45年(1912)
松坂屋の前身 松坂屋いとう呉服店の塗装工事を受注 (合資会社 竹中工務店と初取引)

明治末期から大正、昭和初期にかけては私鉄の開業が相次ぎ、この時代の流れを読み私鉄車両の塗装を積極的に手掛けていきました。
また、大正3年(1914)に始まった第一次世界大戦により空前の好景気を迎え、工業分野が飛躍的に発展し鉄道網も拡大していきました。

東京横浜電鉄
小田原急行帝都線

大正時代の工事風景

終戦後は過剰生産が原因で戦後恐慌に見舞われ、又、大正12年(1923)には関東大震災が発生し日本経済は大打撃を受けることとなった。

昭和3年(1928)代表に髙橋サヨが就任し、髙橋夘之松商店を髙橋延吉商店に名称変更。 この頃外務省大臣官房会計課指定出入業者となる、又大塚組や山口組(のちの東鉄工業)などの塗装工事が増大し英国・ライジングサン社(のちのシェル石油)の柳島油槽所や移動販売タンク塗装等を手がけるようになる。

移動販売タンク

開拓期

昭和4年~昭和19年(1929-1944)

昭和6年(1931)髙橋夘之助が代表者に就任
国鉄の駅舎や私鉄各社、日本無線電信㈱(のちのKDDI)、北越製紙の工場塗装工事などを手がける。
昭和12年(1937)頃、戦時色が強くなり主に航空機用の電気機器類を生産していた国産電機などの軍需工場の塗装工事を手掛けていった。
このとき国産電機の社長が関西ペイント社長も兼任していたことから関西ペイントとのパイプを強め、今後の品不足を予想して沼津市郊外に大量の材料を確保することが出来た。
現場視察団長として(安全パトロール)清水組(のちの清水建設)が国産電機の塗装現場を見て、同社が請け負っていた海軍工場をはじめとする工場塗装を髙橋延吉商店で引き受けてほしいと依頼があった。
そして昭和20年(1945)日本は終戦を迎えることとなる。
この昭和初期に新規取引先が増え、実績と信頼を高めたことが、戦後復興期に成長するきっかけとなっていった。

昭和初期の建築風景

昭和初期の日比谷界隈

成長期

昭和20年~昭和54年(1945-1979)

昭和20年(1945)終戦間もない8月下旬、外務省より米軍進駐までに日産館の塗り替え工事をせよとの依頼があり、戦後の塗り替え工事としてはとしてはおそらく第1号と思われる工事を文字通り突貫工事で施工した。
その後、帝国ホテル、第一ホテル、放送会館(NHK)、米軍女子幹部宿舎など矢継ぎ早に注文が殺到した。
事業の拡大に伴って個人経営の髙橋延吉商店から合資会社 建装工業社を設立し本格的な戦後復興へ体制を整えていった。

外務省終戦連絡事務所(旧日産館)塗替工事
帝国ホテル塗装工事 昭和20年(1945)

八重洲ビルの塗替え工事をきっかけに鹿島組(現・鹿島建設)との取引もはじまる。
進駐軍の宿舎塗装やホテル、国際劇場の塗替工事などを手がけ、昭和23年(1948)には仙台支店を開設し日本石油と初取引し、仙台給油所タンクの一式塗替工事なども手掛ける。
また、このころより大林組、大成建設との取引もはじまり、工事内容も塗装工事とどまらず、工事に派生するガラスを入れたい、ドアを交換したいなど多岐にわたるようになる。
昭和24年(1949)には大阪支店を開設し日本勧業銀行の大阪各支店の塗装工事を施工。

昭和24年(1949)日本勧業銀行本店新築塗装工事

また、この年には日本発送電(のちの電力9社)の指名業者として全国の発電所関連施設の塗装工事を手掛けるようになる。
この頃、石川島播磨重工業(IHI)との取引もはじめ、米軍上陸用舟艇などの船舶塗装にも進出した。

昭和25年(1950)頃の本社社員
昭和27年(1952)第一生命相互ビル塗装工事

昭和28年(1953)銀座松屋デパート改修塗装工事

戦後復興期を経て日本経済は高度経済成長期を迎えようとしている昭和29年(1954)株式会社に改組し、髙橋夘之助が代表取締役社長に就任。
取引先も多岐にわたり、建築物塗装、電力施設塗装、プラント塗装、橋梁塗装などを手がけ昭和35年(1960)には念願の完成工事高日本一を達成した。

昭和37年(1961)東京電力横浜火力発電所新築塗装工事
東京電力千葉火力発電所
昭和37年(1962)若戸大橋塗装工事
若戸大橋竣工時の髙橋夘之助社長

昭和40年代に入ると戦後最長の好景気「いざなぎ景気」を迎える、その過程で日本は米国に次ぐ世界第2位の経済大国の地位を獲得する。
当社も首都高速道路公団、日本道路公団、日本国有鉄道、電力各社、電電公社、民間金融機関、キリンビール、サッポロビール、出光興産、ホテル、学校施設など塗装工事も多岐にわたってきたことから事業部制を採用し、組織の強化と専門性を高めていった。

日本経済は昭和48年(1973)田中角栄内閣による「日本列島改造」による地価の暴騰やインフレの加速、そして第四次中東戦争勃発をきっかけにオイルショックが起こり不況の波に飲み込まれていった。
そんな激動の昭和40年代の中で、当社は長大橋時代の始まりを告げる夢の架け橋といわれた「関門橋」の新設塗装工事を手掛けることとなった。
当時東洋一の規模を誇る吊り橋は橋長1,068m、最頂部から海面まで200m余の巨大な鉄の塊であったという。夏の炎天下や冬の寒風吹き曝す厳しい施工条件の下、当時最新の仮設設備を駆使しながらの工事と品質を確保する為の様々なノウハウを習得し、総塗装面積167,000㎡ 2年という工期を費やし本州と九州を結ぶ交通網が完成することとなった。

昭和48年(1973)関門橋新設塗装工事
昭和48年(1973)関門橋新設塗装工事(全景)
昭和48年(1973)九州電力玄海原子力発電所
昭和49年(1972)迎賓館改修塗装工事(外観)

昭和49年(1972)迎賓館改修塗装工事(室内)

昭和50年代に入り高度経済成長も終焉し日本経済は安定成長期へと入り、産業、科学技術の発展に欠かせない電力供給開発の拡充と規制緩和による建物の長高層化が始まり都市部では超高層ビルが続々誕生していくこととなる。
当社も水力、火力と早期から電力インフラ施設塗装の経験を蓄積し、その後多くの原子力発電施設の塗装工事を手掛けていきました。
また、多くの超高層ビルの新築塗装工事も手掛けていきました。

昭和52年(1977)
種子島宇宙センターNロケット組立発射設備付加装置塗装工事
昭和53年(1978)池袋サンシャイン60ビル

昭和54年(1979)新宿センタービル外壁塗装

転換期

昭和55年~平成7年(1980-1995)

建設業界が冬の時代を迎えていた昭和55年頃、港区西新橋に現在の本社ビルを建築する。
この時期は超高層ビルの新築塗装、高速道路、新幹線整備関連工事、原子力発電所関連工事等の従来の工事に加えて、様々な塗装工事分野に進出していくこととなる。
また、今後の市場を見据えてマンション修繕というリニューアル分野に注力していった時期でもあり、新築塗装から維持修繕へと主力事業分野が移行していったのもこの頃からである。

昭和55年(1980)三菱銀行本館塗装工事
昭和56年(1981)
ホテルニューオータニ タワー棟

昭和58年(1983) 髙橋修三が社長に就任し、前社長の意志を受け継ぎ全国の原子力発電所の塗装工事に全力を注ぐと共に多岐にわたる塗装分野で実績と経験を積み重ねていった。
千葉県で建設が始まった巨大テーマパークでは当時まだ一般的でなかった水性塗料を使う「環境配慮」型の塗装工事やあえて古い時代の塗装に見せる「エイジング」作業などこれまで未経験の施工経験を積んでいった。
また、マレーシアでは現地法人を設立し当時建設ラッシュに沸くクアラルンプールを中心にマレーシア航空格納庫新築塗装、厚生年金会館新築塗装、パンパシフィックホテル新築塗装、シャングリラホテル新築塗装などを行った。

昭和58年(1983)東北電力女川原子力発電所
昭和58年(1983)厚生年金会館(マレーシア)新築塗装工事

また、全国でインフラ整備が進み高速道路、新幹線整備関連、空港建設工事などにも参画していった。
この頃国内では昭和60年のG5によるプラザ合意によるドル安・円高不況に対応する為、大幅な公定歩合の引き下げを契機に企業や投資家は金融機関から低利で借り入れた資金を土地や株に投資するようになり土地価格の上昇と共に日本経済は「バブル景気」を迎えることとなり、平成3年の崩壊まで実に51ヶ月に及ぶ景気の上昇と共に建設投資も84兆を超える水準まで進み、各種インフラ整備やスクラップアンドビルドによる社会基盤の整備が行われていった。
原子力・火力・水力などの電力関連工事が原動力となり平成元年3月期には完成工事高がついに100億を突破した。
平成7年頃には完成工事高が150億を超えるようになり、マンションリニューアル関連の工事高が全体の4割を超えるようになってきた。
こうした工事量の増大と営業面での効果を鑑み、資本金を8千万から3億に大幅増資し来たる維持・修繕時代への体制が整えられていった。

昭和59年(1984)苫小牧東部石油備蓄タンク塗装工事
昭和62年(1987)新東京国際空港(成田)内壁塗装工事
平成3年(1991)東京都庁第二庁舎新築塗装工事
平成6年(1994)花見川住宅外壁塗装並びに関連工事

平成7年(1995)東京国際展示場(ビックサイト)新築塗装工事

飛躍期

平成8年~(1996~)

平成8年(1996)髙橋修身(現社長)が社長に就任した、長年にわたり実績を残してきた主力事業の塗装工事業と共に平成8年3月期には完成工事高が全体の5割を初めて超えたマンションリニューアル事業に着目し、これからも需要がさらに伸びる事業分野と位置付け、マンションリニューアル事業分野の育成と強化に努めた。

平成9年(1997)光ヶ丘パークタウン改修工事
平成9年(1997)仙台スタジアム新築塗装工事
平成10年(1998)明石海峡大橋ケーブル後期塗装工事

日本中に経済成長の中整えられてきたインフラの改修需要の高まりと共に、平成13年(2001)頃から新築塗装とマンション改修の完成工事高比率が4:6となり、改修工事比率が上回るようになる。

平成12年(2000)東京ドームホテル新築塗装工事

そして平成元年に100億を突破した完成工事高が14年の月日を経て、創業100年を迎える平成15年3月期には200億を超えることとなる。
これは電力・大型橋梁・高層ビル・プラント・マンションなど、歴代トップが培ってきた事業の継続と時代の先を読んで育ててきたリニュール事業の発展の賜物である。

平成12年(2000)狭山台第一住宅大規模修繕工事

21世紀になり建装工業はさらなる急成長をとげることになる。
社長が提唱していたトータルとリピートというキーワードの下、マンションリニューアルは良い仕事を行えば、繰り返しお仕事を御下命頂けるという信念で顧客満足度を向上させる施策を全国で打ち出し、マンションリニューアル分野における社内体制の強化、そしてマンションリニューアル工事分野の拡充を着実に進めていった。
具体的にはマンションの管理組合に対する有益な情報を提供するセミナーの開催や、展示会等への出店、そして全国的にマンションリニューアルを提供できる社内体制を構築する為の人材育成やCI活動、超高層マンション改修工事への積極的な取組、塗装・防水工事を主体とする大規模修繕工事に加え、設備工事や内装工事などマンション改修に関連することはトータルでサービス提供できる体制作りを行った。

また、塗装事業では新丸ビル新築塗装工事や琵琶湖大橋の塗替え、美術館の塗装工事、国家石油備蓄基地タンクの内面塗装などを手がけ、中でも2009年5月より東京スカイツリー建設プロジェクトに参加し、千葉支店にてタワー本体の工事を施工したのをはじめ、札幌営業所で工場塗装の一部を施工、関東支店ではソラマチの「東街区」「タワー街区」で工事を施工しており全社でこのビックプロジェクトに携わることとなる。

そしてバブル崩壊から失われた20年とも呼ばれる景気低迷時期を着実な事業経営で乗り越え、ついに平成23年3月期(2011)には完成工事高が300億を超えることとなる。

平成22年(2010)パークタワー台原
管理組合向けのセミナーの実施
平成23年(2011)東京スカイツリー建設工事
平成23年(2011)東京スカイツリー建設工事

平成23年(2011)ダイバーシティ東京塗装工事

社会インフラの維持修繕需要の高まりとマンションストックの繰り返し行われる修繕工事、そしてバブル期に乱立した超高層マンション群の改修時期の訪れ、来る東京オリンピック需要などによる建設工事需要の高まりによって弊社事業もさらに急拡大していくことになる。
しかしオリンピック後の建設需要の急激な低下やそれによりリニューアル市場へ再参入してくるであろうゼネコンやマンション関連企業による市場参入の拡大が叫ばれる2019年問題など課題も多い中、総合改修業のリーディングカンパニーとしてマンションリニューアル分野の更なる拡充と新たなる事業の柱として土木リニューアル事業を重点的に育てていく為の体制作りをおこなってきた。

マンションリニューアル分野では大規模修繕工事・設備改修工事・内装工事に加え助成金を活用した省エネ工事の提案や旧耐震マンションの耐震化工事への取り組みを拡大させていった。

またソフト面ではコンプライアンスの強化やCPD制度を採用したさらなる社員教育の充実化、アイデアを具現化させて品質とサービスの向上を目指す活動を積極的に実施するなど工事高の拡大による品質の低下を防止すると共に新たな進化を遂げるべく固定観念に囚われない事業活動が展開されることとなる。

そして完成工事高が300億に達してからわずか3年後の平成26年3月期(2014)にはついに完成工事高が400億を超えることとなる。

平成25年(2013)キャナルワーフタワーズ改修工事
平成26年(2014)レインボーブリッジケーブル塗装工事

そして今後も皆様の暮らしに欠かせない社会インフラの維持修繕とマンションというかけがえのない資産と暮らしを守るお手伝いを続けていけるよう、驕ることなく着実に成長してゆけるよう未来を見据えた企業活動と実績と信頼を積み重ねていけるよう邁進致します。

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