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会社情報History

時代を支え続けた
建装工業の歩み

江戸幕府御用達の塗師をルーツとする建装工業は、1903年に髙橋夘之松商店として創業。
鉄道車両塗装で培った技術を基盤に、高度成長期には建築物、プラント、橋梁などの塗装で日本の発展に貢献してきました。

19011950

そのルーツは
江戸幕府の御用達塗師から

1603年(慶長8年)、髙橋家初代・三浦屋平六が徳川家康の幕府創設に伴い、
御用達塗師(ぬし)として漆細工所の塗師となったことが建装工業の始まりです。

1903年(明治36年)には、髙橋夘之松(旧姓・鈴木)が芝愛宕町に髙橋夘之松商店を創業し、塗師三浦屋の伝統を継承。

創業期には、日露戦争後の不況や関東大震災にも見舞われたのですが、
松坂屋いとう呉服店(現・松坂屋)の塗装工事などを手掛けることで、地道に成長を続けてきました。
  • 東京市ペンキ職青年大会 <1908年>
    日露戦争後の戦後恐慌の波に揉まれながらも、塗装一筋に時代を駆け抜けていきました。

  • 松坂屋いとう呉服店 <1912年>
    現在の松坂屋の前進である松坂屋いとう呉服店の塗装工事を手掛けました。

    私鉄開業と大戦景気。
    事業拡大の礎を築く

    明治末期から昭和初期、私鉄開業による鉄道網発展に伴い、当社は私鉄車両の塗装で事業を拡大。
    第一次世界大戦(1914~1918年)の好景気も事業成長の後押しとなり、戦後恐慌や関東大震災(1923年)といった
    経済変動期においても、時代のニーズに応じ続けることで事業拡大を可能とすることが出来ました。

    1928年(昭和3年)には、髙橋サヨが代表に就任し、髙橋夘之松商店は髙橋延吉商店に名称を変更。
    外務省大臣官房会計課の指定出入業者となり、大塚組や山口組(後の東鉄工業)からの塗装工事が増加。
    英国ライジングサン社(後のシェル石油)の柳島油槽所や移動販売タンクの塗装を担いました。

    1931年(昭和6年)には、髙橋夘之助が代表となり、国鉄、私鉄、日本無線電信(KDDI)、北越製紙などの工場塗装に進出。
    1937年(昭和12年)頃からの戦時下では、国産電機など軍需工場の塗装を施工。
    関西ペイントとの連携強化による資材確保や、清水組の依頼による海軍工場などの塗装も請け負い、
    昭和初期の新規取引拡大と実績・信頼構築が、戦後復興期の成長の礎となりました。
    • 東京横浜電鉄

    • 小田原急行帝都線

    • 大正時代の工事風景

    • 終戦後は過剰生産が原因で戦後恐慌に見舞われ、又、1923年には関東大震災が発生し日本経済は大打撃を受けることとなった。

    • 移動販売タンク

    • 昭和初期の建築風景

      戦後復興期を支えて
      事業を展開

      1945年終戦直後、外務省終戦連絡事務所(旧日産館)の塗替工事を実施。
      その後、帝国ホテル、第一ホテル、放送会館(NHK)などの著名な建築物の塗替工事にも携わってきました。
      個人経営から合資会社 建装工業社へと組織変更し、復興需要にも対応をしてきました。
      鹿島建設との取引開始を機に、進駐軍宿舎や国際劇場の塗替工事を施工。

      1948年には、仙台支店を開設。日本石油との取引、給油所タンク塗装を開始しました。
      その後、大林組、大成建設とも取引を始め、工事内容は塗装分野以外にも拡大。

      1949年には、大阪支店を開設し、日本勧業銀行の大阪支店塗装の施工も行いました。
      • 当時の外務省終戦連絡事務所(旧日産館)の外観

      • 当時の帝国ホテルの内観

      • 当時の日本勧業銀行本店の外観

        19511999

        高度成長期を
        「塗装」で支える

        1954年、株式会社に改組し、髙橋夘之助が社長に就任。
        建築物、電力施設、プラント、橋梁など多様な分野の塗装工事を手がけ、1960年には塗装業界での完成工事高日本一を達成。
        IHI社との取引開始により船舶塗装にも進出。
        第一生命相互ビルや銀座松屋デパートの塗装工事も担いました。

        当時、いざなぎ景気(1965-1970年)と呼ばれた好景気の下、首都高速道路公団、日本道路公団、国鉄、電力各社、
        電電公社、民間企業、ホテル、学校施設など多様なニーズに対応するため、事業部制を導入し組織を強化。

        1973年には、長大橋時代の象徴である関門橋の新設塗装工事を完遂。
        本州と九州を結ぶ大動脈の完成という国家的プロジェクトに貢献することが出来ました。
        • 当時の社員集合写真(1950年)

        • 第一生命相互ビルの外観(1952年)

        • 銀座松屋デパートの外観(1953年)

        • 東京電力横浜火力発電所の新築塗装工事の様子(1961年)

        • 東京電力千葉火力発電所の航空写真

        • 若戸大橋の上空写真(1962年)

        • 若戸大橋竣工時の髙橋夘之助社長(1962年)

        • 当時の関門橋の外観1(1973年)

        • 当時の関門橋の外観2(1973年)

        • 九州電力玄海原子力発電所の外観(1973年)

        • 迎賓館の外観(1972年)

        • 迎賓館の内観(1972年)

          高度経済成長後の事業拡大

          高度経済成長後は、原子力発電施設の塗装や、池袋サンシャイン60ビル、新宿センタービルといった
          都市部で増加する超高層ビルの新築塗装や種子島宇宙センター等も手掛けてきました。

          昭和55年(1980年)には、現在の本社ビル(東京都港区新橋)を建設。
          超高層ビルの新築に加え、高速道路、新幹線、原子力発電所関連工事などを手掛けつつ、
          将来を見据えたマンション修繕のリニューアル分野へ進出。
          これにより主力事業が“新築”から“維持修繕”へと移行する転換期となりました。
          • 種子島宇宙センターNロケット組立発射設備付加装置の外観(1977年)

          • 上空から見た池袋サンシャイン60ビルの外観(1978年)

          • 新宿センタービルの外観(1979年)

          • 三菱銀行本館の外観(1980年)

          • ホテルニューオータニ タワー棟の外観(1981年)

          • 上空から見た東北電力女川原子力発電所(1983年)

            海外事業、国内大型プロジェクトへの挑戦

            1983年、髙橋修三が社長に就任。新たにテーマパークでの特殊塗装や、マレーシアでの海外事業を展開。
            バブル景気とその崩壊を経て、電力関連工事を牽引力に1989年に完成工事高100億円を突破。
            1995年頃にはマンションリニューアル事業の工事高が全体の4割を超えることとなりました。
            塗装事業においても新東京国際空港(成田)、東京都庁第二庁舎、東京ビッグサイトの施工を担ってきました。
            • マレーシア厚生年金会館の外観(1983年)

            • 上空から見た苫小牧東部石油備蓄タンク(1984年)

            • 新東京国際空港(成田)の内観(1987年)

            • 東京都庁第二庁舎の外観(1991年)

            • 上空から見た花見川住宅(1994年)

            • 東京国際展示場(ビックサイト)の外観(1995年)

              マンションリニューアル事業を主軸へ

              1996年には、髙橋修身(現社長)が社長に就任。マンションリニューアル事業を重点とする政策を行い、
              2001年頃には同事業の完成工事高が新築塗装工事を上回り、経営の主軸へと成長しました。
              • 光ヶ丘パークタウンの外観(1997年)

              • 仙台スタジアムの内観(1997年)

              • 明石海峡大橋の外観(1998年)

              • 東京ドームホテル新築塗装工事(2000年)

                2000

                リーディングカンパニー
                としての地位の確立から
                さらなる飛躍へ

                21世紀に入り、建装工業はさらなる成長をとげることになります。
                トータルとリピートというキーワードの下、マンションリニューアル分野における社内体制の強化、
                マンションリニューアル工事分野の拡充に着手をしてきました。

                近年では国内全体の動きとして環境配慮の側面から、スクラップアンドビルドが見直され、
                ストックメンテナンスが重要視されるようになりました。
                その流れが建装工業の主力事業である維持・修繕工事の需要が高まり、飛躍のきっかけとなったと考えられます。

                1980年代に建設された超高層マンションの設備改修工事時期を迎え、
                大規模修繕工事とは違った多様なシステムへの対応、内装仕上げが様々な専有部工事を伴う施工など、
                建装工業が培ってきた技術、経験、総合力がより求められてきました。

                これが2020年の設備・内装リニューアル事業部の開設に繋がる礎となり、
                2014年には完成工事高400億円を突破しました。
                • ダイバーシティ東京塗装工事(2011年)

                • 新タワー建設工事(2012年)

                • 狭山台第一住宅大規模修繕工事(2000年) 

                • パークタワー台原(2010年)

                  2015年には、土木リニューアル事業部を開設。新たな事業の柱として、
                  様々なインフラ構造物の維持修繕・予防保全にも携わり、
                  総合改修業のリーディングカンパニーとしての地位を確立させていくこととなります。

                  塗装事業においては、新丸ビル新築塗装工事や新タワー建設工事、ダイバーシティ東京新築工事等の
                  様々なランドマークとなるプロジェクトへ携わってきました。

                  2022年には、同業であったTOHO株式会社と経営統合。
                  両社の強みを生かすことで更なる事業拡大を行い、2年後の2024年には完成工事高600億円を達成。
                  リニューアル業界でのリーディングカンパニーとして更なる飛躍を遂げていくことが出来ました。
                  • 成田空港固定ゲート増設工事(2016年)

                  • 豊田スタジアム メインマストサブトラスト修繕工事(2018年 TOHO施工)

                  • 芝浦アイランドグローヴタワー大規模修繕工事(2023年)

                  • 東名高速道路 畑沢橋鋼橋補修工事(2023年)